No Photo,No Life.

写真家として活動している片岡三果です。カメラのこと、写真のこと、日々のこと。

風花と虹の橋

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(2017年1月9日 PEN E-PL8で撮影。)

2日未明に血栓病で闘病していた風花が息を引き取った。

 

 

 

 (この記事は、気が動転しているとき、頭が真っ白になりつつあるときにがむしゃらに書き綴った文章がほとんどなので、ご了承ください…自分の心を保つために文を綴りました。)

 

 

 

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(2018年1月1日 LUMIX LX100で撮影。)

 

 

呼吸こそ荒かったけれど

数時間前まで私の食べるものの匂いをくんくんと嗅いでいたし

わたしをたしかに見てくれていたし

相変わらずカメラをむけるとめいわくそうな顔をしていたし

呼吸が荒いのも

また落ち着けば少しは治るとみんな思っていた。

 

昨日はまだ穏やかで 自分の意思でご飯もたべる。

トイレにも行き粗相はしない。

薬は嫌がるけど。

前の晩も母のお腹の上でスヤスヤと寝ていた。

もちろん今晩もそうだと母も疑わなかった。

 

 

 

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(2018年1月1日 FUJIFILM SQ10で撮影。息を引き取る22時間前。チェキスクエア用に買ったばかりのカメラのストラップ。久しぶりにじゃれてくれた。けど、本当に一瞬で、この体制は身体にキツかったみたい。でもじゃれたかったようで、2、3度同じようにしていた。)

 

 

よろよろと少し休みながら、足を止め、そしてまたよろよろと動き出し

自分の意思でトイレにいき

そして帰ってきてから急変し

和室の隅に逃げ隠れ

苦しみ悶え

ここではないと思ったのか

心配する私たちを横目に少ない体力で走り

こたつのなかに隠れ

 

そして

たくさん苦しんで

居間のわたしの定位置のすみで力尽きてしまった。

 

 

2017年11月24日の血栓病発症から絶え間なく荒かった呼吸

波打つ腹部が止まっていた。

最期は声にならないかすかな声をあげて

そして今までの苦しみが癒えたかのように顔は穏やかに変わって逝ってしまった。

 

最期間際にふうかの左手を握って

かすかに握り返して

そしてもう動かなくなってしまった。

 

荒くなった呼吸が止み瞬きをしなくなり

ふうちゃんが…ダメだ…と声をあげると

母は泣き崩れて信じたくないとわんわん泣いた

父もテーブルの反対側から様子を見ながら

わたしの言葉に絶句し

両親はわたしに

この場にいてくれてありがとう と話した。

最期苦しむ様子は母は見ていられなかったようだし

父も直前まで居間でうたた寝をしていたからきっと頭が混乱していただろう。

 

最期を直接看取ったのはわたしだった。

血栓病になってからずっと苦しかった呼吸

長年お世話になっている動物病院の先生も

血栓病になった子は数日の命だから奇跡だ と話していたし

わたしもふうかはラッキーキャットだと思っていた。

 

延命できているだけでなく、

発病時に血が通わなく冷たくなっていた下半身が動くようになり

右足をずって歩けるようになり、

自分の意思である程度自由に動けるようになり

最近は右足の先だけが動かないので右足を支え状にして上手に歩けていた。

ここまでの回復ぶりはおそらくいろんな血栓病を患った猫の中でも

本当に稀なことだと思う。

 

 

 

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(2017年11月26日 FUJIFILM SQ10で撮影(その後背景モザイク加工。)発病少し落ち着いた2日後。)

 

 

ふうの血栓発病後に会ったたくさんの方に「猫ちゃんその後大丈夫?」と声をかけていただいていたし、

神社にお祈りにいってくださった方も何人か居て

FacebookTwitterなどでもお見舞いの言葉をたくさんいただきました。

言霊ってあるようで、いろんな方の祈りが届いて

血栓病になり余命数日宣告をされたふうかは

自分の意思で動けるまでに回復し

クリスマスをすぎ

わたしの「みんなで年を越したいね」といっていた夢も実現してくれた。

 

でもここまでだった。

 

血栓病になったら数十時間で力尽きてしまう子達が多い中

ふうちゃんは1ヶ月と少しもの間がんばってきた。

もちろんほぼずっと母はふうかのことを気にかけて、

発病してから心配だからと、ほぼまったく家から出られなくなり

精神的にも滅入っていて、わたしは母のメンタルもとても心配だった。

 

それでも。

それでも。

 

春も一緒にむかえられると父も母も思っていたし

驚く回復ぶりはこのまま半年1年と一緒に居られる気さえしていた。

発病してから、お水やご飯、トイレやお薬などは

時間や回数をノートに記載するといいよと進めてフォーマットを作り、

今日までずっと続いてきた。

 

ふうちゃんはカメラが嫌いでレンズから目を背けてばかりだし

無愛想な顔ばかりだったけど

発病してからチェキフィルムで撮影してフィルムを母に渡していた。

亡くなった時も

写真をにぎりしめ、「この写真は宝物だよ。。」と言っていた。

 

 

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(2017年12月3日 OM-D E-M10llで撮影。キャットタワーでひなたぼっこ中。)

 

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(2017年12月3日 iPhoneで撮影。上の撮影画面と。)

 

 

写真の重要性。

 

祖父のときもそうだったけれど。

わたしたちが思い出せるように

いつでも思い出に寄り添えるように

忘れないために

懐かしむために

寄り添うために

大切な思い出を大切にするために

写真は大事だと改めて心に深く刻まれました。

 

 

 

 

わたしたちにとっては ただの猫ではない。

大切な家族であり

娘であり

友達であり

姉であり

大事な一員。

 

その家族が今はこの世に魂がなくなってしまった。

これを書いている今でも信じられない。

時期も時期なので火葬場は三が日はお休み。

我が家で保管するのだけど

もしかして起きてくるかな そんなことまで考えてしまう。

ふうかはすごく気も強くて なかなか抱っこさせてくれなかった。

抱っこできてもほんの数秒。 手を触ろうとしても怒られるし

頭を撫でるのも気分次第では怒られたり。

 

もともと体の小さな猫だったけど

元気な時から比べると軽くなってしまったふうかを抱き上げて

”やっと落ち着いて抱っこさせてくれた…”と、 また涙がでてきた。

小一時間くらい ずっと手を握っていたし

抱き上げてこのままふうかの重さを感じていたかった。

でもそうもいかない。

しばらくずっと放心状態だった。

夜中の2時。3時。

ふつうは寝る時間だけれど

ふうかへのこの想いを、

今こうしてパソコンをひらいて書き留めなければ。

頭に溢れる気持ちを書き綴らねばと思っている。

 

 

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(2017年4月24日 iPhoneで撮影。写ルンですと。) 

 

ふうかは幸せだったかな。

言葉は悪いが、柄が濃いわりに柄がまだらなのでブリーダーさんの売れ残りだったふうか。柄が綺麗でシルバーだったらうちには来ていなかった。

シルバーとブラウンのミックスだったふうか。年々ブラウンが濃くなっていった。

それでもそのまだらな柄も愛おしかった。

 

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(2014年2月12日 iPhoneで撮影。女の子なのに目つきが悪いので親分みたい!といっていた。)

 

もともと生まれつき右目が悪くて、

一生涙が出続けると病院でも言われたけれど

目薬や涙をふいてあげることで

見えなくなるという状態は回避できたし

つい最近も健康診断では結果は良好。

孝行猫でした。

アメリカンショートヘアなどの血統証付きの猫はどうしても免疫力がひくく、

そして血栓病になりやすいそうです。

 

アメリカンショートヘアー風太郎(ふうたろう)と名付けたお兄さん猫を近所のブリーダーさんから授かり

でも生まれつき体が弱くてとっても短い命で。

そこで出会ったのが妹の風花でした。

 

 

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(2015年2月22日 iPhoneでお遊びで撮影。)

 

 

 

わたしが成人式を迎える前から一緒にいるふうか。

一人暮らしをはじめてからは両親にとって、

日常でわたしよりも娘ポジションでした。

 

 

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(2015年11月21日 LUMIX GF7で撮影。父の腕の中で)

 

ふうかは父にベタ惚れだったし

母はふうかとほぼずっと一緒。

いまだにふうかの足音がもう聞こえないことが信じられなくて

首輪の鈴の音も聞こえてきそう。

心にぽっかりとあいた穴があり

今もどうしていいのかわかりません。

 

 

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(2014年1月2日 iPhoneで撮影。この4年後に息を引き取るとは。) 

 

 

祖父、大叔父、そしてふうか。

わたしの大切なひとたち、存在が わたしのもとから消えていってしまう。

いなくならないで。

 

消えないで。

 

(厳密には、母の従兄弟や遠い親戚もこの半年で数人亡くなっています)

 

生とは。

生きるとは。

答えにたどり着かない 名前をつけられない思想か何かが

ずっとわたしの頭の中を支配している

 

何も考えられないので

祖父の四十九日で大叔父が持ってきた八海山、

これは遺品というか、大叔父の遺していったものになったが、

少し飲んで体を休めた。

 

 

家族3人家にそろっていて

このタイミングは一番理想的だったのかもしれない。

別れはもちろん悲しいけれど

母が一人の時でなくてよかった。

父が仕事に行く間際でなくてよかった。

みんなが見守れた。

別れの言葉を投げ合った。

 

悲しいかな、近くの個別荼毘の火葬場は予約でいっぱい。

同じ悲しい別れがある。

便利な世の中になったもので、インターネットで調べると

エリア内で出張お迎えにきてくれる斎場があった。

個別火葬を徹底してくれて、きちんと返骨してくれる。

電話もとても丁寧で1時間後にはきてくれた。

 

そして4時間後には骨になって我が家に帰ってきた。

頭の骨もしっかりしていて。そして小さかった。

(川口ペット斎場さんにお世話になりました。365日24時間受付してくれます。お迎えにきてくださるし、そしてお骨を持ってきて下るので家族で家でふうかの話をしながらおだやかに待っていられました。担当の方もすごく丁寧でありがたかったです。)

 

 

起きてからもずっと母はなき続け、

ふうがいない事を受け入れられない。

買い物にいくと玄関で待ってるし

もう少し若い時は、

銀紙をまるめて投げると走って咥えてこちらまで持ってきてくれた。

そして「また投げて」と目を輝かせる。ちょっと犬みたい。

 

 

 

 

 

足の力がとても強い子で

壁とタンスの間を上手に上りつめて、

よくタンスの上に鎮座していた。

私が和室で寝ていると、目覚めるとタンスの上から見下ろされていた。

いつもクスっと笑えていた。

 

 

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(2012年7月26日iPhoneで撮影。私の寝ている場所から見えた世界。昔のブログから見つけた写真。のこしておいて良かった。)

 

 

寝る時は母の身体のうえで。

 

 

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(2016年3月20日 iPhoneで撮影。寝ている母の上で休む風花。ここがお気に入りだった)

 

 

父のことが大好きで、よく、父のお風呂上がりを待って、見つめていた。

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(2012年4月2日 iPhoneで撮影。荒い…これも昔のブログからひっぱってきました。)

 

箱入り娘だったので、外に出るのは病院宿泊に預ける時くらい。

キャットタワーにのって日向ぼっこをしながら外の様子をじっとみているのが日課

(昔外に出てみる?と抱いて玄関を出るとものすごく嫌がったので安定の箱入りでした)

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 (2014年3月29日 iPhoneで撮影。キャットタワーから外を眺める、いつものひととき。)

 

 

人間でいうと80手前。

血栓病になる前はまったく歳を感じさせなく、

いつも子猫みたいな風貌だし、病気もまったくしない、

12年間粗相も一度もしない、本当にいい子でした。

いい子すぎて 動けなくなっても、

その辺でしても全然いいのに、トイレにいくまでしなかったり。。

息を引き取る間際にトイレにいったことで体力がなくなったと母は嘆いていたけど

わたしは、ふうの自分の意思でトイレにいった事、ふうちゃんの意思で動いたことだからそれはとても良かったと思う。

 

 

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(2014年4月14日 iPhoneで撮影。風花が好きなのでこたつをなかなかしまえない我が家。普段は甘えないけど、こたつの中では足にしがみついてくれている。 )

 

一緒に大人になってきたし

前の家からこの家にくるのも一緒に引っ越しをしてきて

笑っている時、

喧嘩しているとき、

ぼーっとしているとき

ふうかはいつも寄り添ってくれた。

 

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(2013年1月3日iPhoneで撮影。ダブルウィンク…と昔のブログで書いてあるのを見つけてきました。)

 

 

抱っこやこちらからのお触りは怪訝そうだったけど

こたつの中では足にぎゅっとしがみ付いてきたり

いままでのふうかの写真は膨大だし、

いろんなところにデータとして散乱していると思うから

これもまたフォトブックでまとめたい。

プリントもして、

居間や寝床やトイレの壁もふうかの写真をマスキングテープなんかで留めて毎日見られるようにしよう。

 

 

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(2017年1月1日iPhoneで撮影。SQ10をくんくん。新しいカバーで知らない匂いで気になっていたのかもしれない。)

 

チェキのプリントも母はとっても大事にしてくれて、

眺めては懐かしみ、悲しみ、想いを馳せている。

もっと増やすつもりだ。

 

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(2017年12月3日 OM-D E-M10llで撮影。発病してから撮影したチェキと一緒に。歯型も思い出。)

 

 

 

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 (2014年11月17日 PEN E-PL7で撮影。キャットタワーの上がお気に入り)

 

 

この家には色々なところにふうかとの思い出がある。

トイレも餌置き場もしばらくそのままにしておく。

悲しいけど忘れたくない。

 

 

 

 

 

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(2010年3月12日 LUMIX ZX3で撮影。前の家のサンルーム。ふうかの部屋だった。)

 

 

 

 

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(2008年7月13日 おそらくガラケーで撮影。2歳になっていないくらい。こうしてみると若いです。)

 

 

 

血栓病と宣告された時は

うちに奇跡なんておきるのだろうか。信じてがっかりするんだろうな、と諦めの気持ちもあったけれど、それでももしかしたら。もしかしたら奇跡がおきて、元気になったり…と願った。

 

風花が頑張った1ヶ月少し。家族の絆はより濃いものになったし、たくさんの思い出をつくれた。気持ちを落ち着かせる猶予もくれた。

 

12歳はまだまだ生きられる年齢だけど、

風花は片岡家の家族として気ままに生きてこられたと思っている。

 

後悔は絶えないし

残されたわたしたちの心の空虚感はきっとあまり癒えないけど

でも記憶を薄めたくない。もっとこれからも片岡家に寄り添っていてほしい。

残ったチャオちゅーるが切ないけれど。

 

 

苦しい日々を乗り越えて

虹の橋にいった風花。向こうで血栓の辛さを忘れて

元気な強い足で思いっきり走り回って欲しい。