No Photo,No Life.

写真家として活動している片岡三果です。カメラのこと、写真のこと、日々のこと。

愛しきノートルダム大聖堂。


パリ現地で、ノートルダム大聖堂の閉場後の時間からの着火で

寺院が大変悲しい事態になっています。。

 

Twitterでも綴りましたが、

気持ちを文字に残そうと思いました。

 

 

Parisへは何度も訪れるようになり、初めての渡仏から大好きな場所のひとつです。

いろいろな作品の舞台にもなっているので知らない人が少ないのでは、という

世界文化遺産です。

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ノートルダム大聖堂のバラ窓ステンドグラスの一部

わたしは幼少期にヴィクトル・ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」を観てから寺院は憧れの場所でいつか行ってみたいと強く思っていました。

ユーゴーレ・ミゼラブルの作者でもあります。ユーゴーの作品が大好きです。

2月もロンドンでレミゼのミュージカルを観てきました。

 

 

2015年に夢が叶い、それから短いスパンでParisに行き、ノートルダム大聖堂へ行き、神聖な気持ちに心洗われたり

その姿をずっと眺めながらいろいろなことを考えたり

敷地内でも何度もたくさんの写真を撮りました。

 

つい最近ではちょうど2ヶ月前の2019年2月16日(現地時間で15日)にノートルダムで撮影をしていました。

 

修繕中の着火だそうなので、暴動ではないけれど。

 

 1163年から建設の始まった寺院。

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1163年からのノートルダムの歴史

建物のなかで展示されていた資料です。

寺院をもっと知るために記録として撮ったものなのでバラつき等ありますが、、

右上が年号です。

着工した頃、日本は平安時代

1225年に完成。

 

正面の部分のファサードの双塔もその後に完成され、いろいろと修繕しながら歴史とともに少しずつ成長してきたことが、資料から分かります。

 

建築時期に幾多の年を重ね、時代をまたいでいるので、

いろいろな部分にその時代のさまざまなポピュラーな様式が入り混じっているのも面白いところ。

 

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ノートルダム大聖堂ファサード部分。双塔の間に月がのぼっています。

 

フランス革命の時にも(彫像は壊されたけど…)、戦争の最中でも耐えてこの地に様々な人の希望と明日のために生き残ってきた歴史的建造物が

まさか修繕作業中に炎の渦にどんどん朽ち消えてしまうなんて。。。

 

ヴァロワ朝百年戦争ジャンヌ・ダルク)あたりからブルボン朝絶対王政、マリーアントワネット、フランス革命からナチス・ドイツの歴史は大人になってから興味を持ち好きになりナショジオ番組や資料を読むようになりました…!)

 

わたしの初めての個展が「A la Parisienne!〜パリジェンヌになりたいの〜」だったように

わたしはParisが大好きです。

憧れからはじまり、心の中にParisでの日々や現地の人たちとの関わり、様々な感銘を受けてまたすぐに訪れたいと思わせてくれる土地。

 

 

https://www.instagram.com/p/BV9dPjUAcIH/

S’envoler de Notre-Dame

(邦題:ノートルダム大聖堂からのはばたき)

 

たくさんParisに行っている人、住んでいる方からしたらわたしの渡仏の回数はまだまだ少ないかもしれませんが、

 

この件に関してはParisに行ったことがある人もない人も平等にノートルダム大聖堂への悲しい気持ちを想うことができるはずです。

 

 今の季節のParisは日本のマイナス7時間。(サマータイムはマイナス8時間)

なのでいまこのブログを書いている現在は夜中の3時です。

 

 

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Live中継

TwitterのLive配信の消火の様子を確認しながらこれを書いていますが

ファサード部分に人影が出るようになりました。さきほどはこの部分がクローズアップしていたのですが、ヘルメットをかぶる動作も確認できたので、高い場所から内部の視察を含めて動かれているようです。

 

入り口部分であるこの双塔は現段階では建物の崩壊などはなく無事なようです。

 

 

 

もう深夜とういうこともあり、余計にそう思わせるのでしょうが

焼け跡の煤汚れが一層悲しくなります。

 

その国、土地によって水回り事情が違うように、

Parisも空中からの大量の水での鎮火というのは土地柄不可能で、遠く離れた山のある場所から出ないと運べないそうです。

 

 

 

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祈る人たち

わたしはキリスト教信者ではありませんが、信仰する方々にとって胸が締め付けられる想いだったことは間違いありませんし、

信者ではないわたしも聖堂に赴くと心が神聖な気持ちになり、自分の心に色々なことを問いかけ、神様に感謝したくなります。

 

中央の塔が赤く燃えながら焼け崩れる瞬間は悲しみの絶望感で溢れました。

日本で映像を見ていたわたしでさえ思わず涙が溢れてしまいましたが、現地の方々の心情は計り知れません。。。。

 

美しいステンドグラスも焼けてしまいました。

太陽の光、夜の光を浴びて美しく輝きを放つステンドグラスは細部までよくよく見るとそれぞれに役割があるのが分かります。

 

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冒頭のこの写真ですが、これはたくさんの大きなバラ窓のステンドグラスの一部分です。

当時の作り手の方々の巨大な名作も今は一部が焼けてしまった。

 

不幸中の幸いとして、内部の銘品たち(値段がつけられないものばかりだそう)は素晴らしいレスキューのおかげで守ることが出来たそうですが、

 

この建物の美しさは建築的、視覚的な美しさでもありました。

 

グーグルマップで検索するとわかるように、ノートルダム大聖堂の立地は

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セーヌ川に佇む「シテ島」という場所にあります。

島といっても見た目に島感はそんなに感じないほどなのですが、形としては島にあたります。

 

こういう立地もあり、街へ火が大きく流れ移るという被害がなかったのもマリア様が市民を守ってくれたのかもしれません。

 

 

 

 

 

おそらく時間が経過するごとに、着火の決定的原因や経過の写真などがニュースで上がってき、わたしを含む世界中のひとたちは

あれがよくなかった、こんなことになって対策はウンタラ、世界遺産なのにカンチャラといろいろなことを言ったり思ったり討論するでしょう。

 

でももう消失してしまったものは戻らない。これは悲観的ですが事実です。

わたしもとても悲しいですが、これからどうするか。

再建の為にさまざまな運動が行われるでしょうし、修繕のために新たな歴史をつないでいく他はないと思います。

 

世界遺産の一部が損傷してしまったというのは、Parisの人々だけではなく世界で考えて乗り越えていく事柄だと思っています。

 

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神聖で美しいこの場所が大変なことになってしまったことに嘆くだけではなく、

わたしにもできることは少しかもしれないけれど

それでもノートルダム大聖堂の明日のために力になりたい。

 

 

かつての大聖堂建築に関わってきた多くの人たちの、美しいひとつの大きな象徴をつくる想いを考えると胸が締め付けられます。

たくさんのドラマや葛藤や犠牲、賞賛があり、そしてその後にたくさんの危機を乗り越え修繕されていく過程にもストーリーがあり。

まさに歴史を刻んでいるんですよね。。。

もちろん日本の建築物にも同じことが言えますが…。

 

 

 

炎に燃えるノートルダム大聖堂を見つめながら、アヴェマリアを口々に歌う市民の映像も見ました。持ち歩いている十字架を握りしめて。

 

 

お国柄が違うのは重々承知ですが、日本で同じことが起きてしまった時に、

歌いはせずとも日本人は慈しみながら祈りを乞うことができるのだろうか…

(たくさんいるとは思います。が、、)

(バスるためのネタとして笑いながら動画を撮ったり、美しくない日本語で騒いだりしないだろうか。。)

 

ノートルダム大聖堂我らが貴婦人。

 

 

 

 

なくなってしまったから悲しい、ではなく、見たいと思ったものは実際に見に赴いたり勉強して知識を得たり、が大切なものを日々心に留める最良かと思います。

いま、見たいもの、撮りたいもの、感じたいもの、知りたいものを後悔なく進んでいくことはとても大事だと気付かされます。